物語と自分の距離
生まれてから死ぬまで、始まりがあって終わりがあって、山在り谷在り、笑い在り涙在りなら、これはもう立派に物語。
宗教にどっぷりの人ってなんであんなに自信をもってるのかよくわからなかったけど、はっぴぃえんど(というか幸せな第二部)が約束されているからなんだとさっき唐突にわかった気がしたらすっきりした。この世界で報われる必要もないしね。自分のことを信じられないときももっと大きな神話によりそって、もしかしたら自分の人生もその神話の一部にできるかもしれないから。
神様抜きで自分のストーリーを作るのはしんどいけど、それが自分の物語をつづって今日の自分をそこに落とし込むという作業が自分のことを俯瞰的にながめるということかもしれない。物語か、うん、物語、大事だなぁ、欲しいなぁというか必要だなぁ。
書くまではもうちょっとわかったような気がしてたんだけど、散歩してるときの自分はもうちょっと賢いんだけどなぁ。
自分の中に物語、ありますか?
自分の力で届くはっぴぃえんどを用意してるか、うーん、ちょっと自信ない。